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日産スカイライン(ハコスカ)

 

3代目(C10型、1968年-1972年)
スカイライン2000GT-Xこの車はV35スカイライン・クーペのコマーシャルCMの回想シーンでも登場した
通称:ハコスカ

キャッチコピー:ダイナミックファミリーセダン・愛のスカイライン-ハコスカ

1968年8月 S50型のモデルチェンジとして、プリンス系の直列4気筒OHC1500cc G15型エンジンを搭載する1500(セダン(C10型)、エステート(WC10型)、バン(VC10型))を発売。足回りはフロント側がストラット式独立懸架、リア側はリーフリジット。1500のグレード展開は、スタンダードとデラックスの2種だったが、デラックスはシート形状とトランスミッションにより、ファミリーデラックス(3速コラムシフト・ベンチシート)、ツーリングデラックス(3速コラムシフト・セパレートシート)、スポーティデラックス(4速フロアシフト・セパレートシート)の3種に細分化されていた。また、デラックスには女性仕様の「Lパック」がメーカーオプションとして用意されていた。

1968年10月 GT(GC10型)が追加。S50型同様、バルグヘッド前よりホイールベースを延長。エンジンは日産系の直列6気筒OHC2000cc L20型エンジンを搭載する。足回りはリア側がセミトレーリング式とされ、4輪独立懸架となる。

同月 第15回東京モーターショーに「スカイラインGTレーシング仕様」が出品される。翌年発売されるGT-Rのコンセプトカーである。

1969年2月 直列6気筒4バルブDOHC2000cc S20型エンジンを搭載した「スカイラインGT-R(PGC10型)」を発売。カタログにはR380A-IIIも登場する。GTに対する外観上の特徴はリアフェンダーのサーフィンラインがカットされている他、モール類が設定されていない点である。

同月 1800シリーズ(PC10型)を追加。ローレルに先行搭載されていたプリンス系の直列4気筒OHC1800cc G18型を移植したもの。1800スポーティデラックスにGTの装備品を加えた「スポーティS」なるグレードも設定されていたが、エンジンはシングルキャブのままだった。

1969年10月 マイナーチェンジ。所謂「ワンピースグリル」に変更される。

1970年10月 2ドアハードトップを1800シリーズ(KPC10型)、および2000GTシリーズ(KGC10型)に追加。GT-Rはセダンからハードトップ(KPGC10型)へ変更された。ハードトップはセダンに対し70mmホイールベースを短縮したことにより、運動性能が向上した。

なお、キャッチコピーの"愛のスカイライン"はC110(ケンメリ)やR34後期のCMでも使われた。ハコスカGT-Rの当時価格は150万円だった。

総販売台数は310,447台(GT-Rの1,945台を含む)。現在でも、いわゆる「旧車」の中で最も知名度や人気があるモデルである。

4代目(C110型、1972年-1977年)
通称:ケンメリ、ヨンメリ(セダンモデルのみの愛称)

キャッチコピー:ケンとメリーのスカイライン

1972年9月 C110型にモデルチェンジ。ボディバリエーションは4ドアセダン、2ドアハードトップ、およびワゴン/バンを有し、セダン/ハードトップは4気筒エンジン車、6気筒エンジン車でフロントノーズの長さが異なる(当然ホイールベースも)。サーフィンラインは折り目のあるシャープなデザインに発展。2ドアハードトップは太いCピラーを特徴とし、ワゴン/バンはラゲッジルームの窓の無い、CピラーとDピラーをつなげた造形を特徴とした。搭載するエンジンはG15型をボアアップした直列4気筒OHC1600cc・G16型、先代より継続されたOHC1800cc・G18型、およびL20型の3機種。足回りはフロント側がストラット式。リア側は4気筒モデルがリーフリジッド、6気筒モデルがセミトレーリングアームの組合せ。4ドアGTおよび2ドアハードトップ全グレードのテールライトが丸型4灯となった。この丸型4灯テールライトは以後スカイラインのアイデンティティの一つとして、10代目のR34まで受け継がれていくことになる。4ドアセダンはヨンメリ(4ドアのケンメリ)とも呼ばれている。また1600ccには、LPGエンジンのタクシー仕様車も設定されていた(販売は1975年頃までと推定)。

なお、ボディカラーが白の2ドアハードトップにのみ、リアフェンダーに接着剤付けのモールが設定されている。当時の日産自動車の社長命令で設定されたといわれる。

この代は警察庁で警らパトロールカーとして導入された。エンジンはGT系と同じL20だが、装備の質は落とされており、専用モデルとなっている(警らパトカー仕様はR31まで設定された)。

C110型は海外(右ハンドル圏)にも「ダットサン240K」の名で輸出された。

1972年10月 第19回東京モーターショーに「ハードトップ2000GT-Rレーシング仕様」を出品。

1973年1月 「ハードトップ2000GT-R(KPGC110型)」を追加。先代同様S20型エンジン(1989cc 160ps/7000rpm、18.0kgm/5600rpm)を搭載し、専用ラジエータグリル、前後オーバーフェンダー、リアスポイラー等を装備する他、先代では標準でなかったラジオが標準装備とされている。排気ガス規制の影響で僅か197台が生産されたと言われ、うち195台が市販されただけで生産が終了された。レースに出場することもなかったが、生産台数が極端に少ないがゆえに幻のGT-Rとして有名で、旧車市場において非常に高額で売買されている。GT-Rは後のR32型の登場まで復活しなかった。

1975年5月 マイナーチェンジ。4気筒モデルのG16型、G18型に替わり、L16型、L18型が搭載される。

1975年9月 50年排ガス規制(A-)対応の、電子制御燃料噴射(ニッサンEGI)を採用するL20E型を搭載する「セダン/ハードトップ2000GTX・E」を追加。

1975年10月 セダン/ハードトップの1600・1800・2000(L20S型搭載車)系をNAPSにより50年排ガス規制(A-)に適合。同時にマイナーチェンジ、フロント/リアのデザインが変更される。最下位グレードがセダン1600DXとなる

1976年2月〜3月 GT系のL20E搭載車が、51年排ガス規制(C-)に適合。翌月には1600も51年規制に適合

1976年6月 GT系のL20S搭載車、1800系が51年規制に適合。


広告で「ケンとメリーのスカイライン」のキャッチコピーが使われたことから、「ケンメリ」と呼ばれる。傘のマークをワンポイントにしたキャラクター商品も販売された。バズが歌うCMソング『ケンとメリー〜愛と風のように〜』がヒットチャート1位になり、CMの撮影が行われた北海道美瑛町のポプラの木は今なお「ケンとメリーの木」として観光名所である。当時このCMにケン役で出ていたのはマイケル富岡であるとの誤解が一部にあるが、マイケル富岡が出演していたのは5代目のC210型のCMである。

東宝製作の特撮テレビドラマ「流星人間ゾーン」に登場する車両「マイティーライナー」のベース車両は、このGC110型(2ドアハードトップ)スカイラインである。

1980年代、手頃な価格とあいまって若者を中心に人気があったこのモデルは、姉妹車のローレルとともに暴走族の改造車(族車)の定番になり、テールライトの中心寄り2つをパテ埋めする「ワンテール仕様」や、ウインカーやグリルをローレルのものに交換する、テールライトを日産・チェリーチェリーのものに交換するなどといった、当時の日産車同士のパーツの相互性を活かした多彩な改造が流行した。

総販売台数は670,562台(GT-Rの197台を含む)。

5代目(C210型、1977年-1981年)

C210スカイライン(後期型GT)

通称:ジャパン

キャッチコピー:スカイライン ジャパン

1977年8月 C210型発売。ボディバリエーションはC110型と同様、4ドアセダン、2ドアハードトップ、およびバンの3系列を設定し、セダンおよびハードトップは直列6気筒エンジン搭載車と直列4気筒エンジン搭載車でホイールベースをそれぞれ2615mm、2515mmとされた。バンは直列4気筒エンジンのみの設定であった。搭載するエンジンは直列4気筒OHCがL16S型(1595cc)、L18S型(1770cc)、L18E型の3機種。直列6気筒OHCがL20S型(1998cc 115ps/5600rpm、16.5kgm/3600rpm)、およびL20E型(130ps/6000rpm、17.0kgm/4400rpm)の2機種。グレード体系は直列6気筒エンジンを搭載する「GTシリーズ」と直列4気筒エンジンを搭載する「TI(ツーリング・インターナショナル)シリーズ」の2系列となった。GTとTIとではラジエーターグリルおよびテールランプの意匠が異なる。サーフィンラインはエッジのあるブリスター形状となり、リアトレッド拡大に寄与している。足回りはフロント側がストラット式。リア側は4気筒モデルが4リンク式、6気筒モデルがセミトレーリングアーム式の組合せ。GTバッヂは3種類となり、GTおよびGT-E・Lが青バッヂ、GT-E・Xが金バッヂ、GT-E・Sが赤バッヂとされた。GT・LおよびGT-E・Xはデジタル時計が装備され、それ以外のグレードはアナログ時計が装備された。GT-E・Sにはリアワイパーおよびヘッドランプクリーナーが標準装備された。また、GT-E・SおよびTI-E・Sには4輪ディスクブレーキおよびリアスタビライザーが装備された。

メインキャッチコピーのほかにも、サブキャッチコピーもあり、サブキャッチコピーには「Mr&Ms(みすたー・あんど・みず)」が使われた。発売当初は自動車排出ガス規制 の影響を受け、SOHCエンジンを搭載せざるを得なくなり、DOHCもターボチャージャーターボも設定されず、「牙を抜かれたGT」と揶揄され、ライバルのトヨタ・セリカのコマーシャルCMでも「名ばかりのGT達は、道をあける。」と皮肉られた。

1978年3月 2ドアハードトップ2000GT-E・Lおよび1800TI-E・Lに特別仕様車「ブラッキー」を設定。アルミホイール、70%扁平ラジアルタイヤ、オーバーヘッドコンソール、およびヘッドランプクリーナーを装備した。

1978年8月 L16/L18型エンジンを、急速燃焼方式(ツインスパークプラグ)を採用する直列4気筒OHC Z16/18型エンジンに変更。L20型エンジンについても一部変更が施され、53年排気ガス規制に適合し、車両型式が211型となる。同時に「1800TI-E・X」を追加。

1979年7月 マイナーチェンジにより前後の意匠変更がなされる。GTシリーズは角型異型2灯ヘッドランプとされ、TIシリーズは丸型4灯ヘッドランプを継承したが、ラジエーターグリルが変更された。

1979年8月 ワゴン(WPC211)追加。Z18型エンジンを搭載する。

1979年11月 2000GT-Eに特別仕様車「スーパーGT」を設定。セダンはミケロッティマグネシウムホイール(クロモドラ製)、ハードトップはカンパニョーロホイールを装備した。

1980年3月 2000GT-E・Sおよび2000GT-E・Xに特別仕様車「ゴールデンカー」を設定。専用のゴールド塗装のほか、E・Sはパワーサンルーフ、カンパニョーロマグネシウムホイールを装備し、E・Xはミケロッティマグネシウムホイール、ミシュランタイヤを装備した。

1980年4月 待望のターボエンジンを搭載したモデルを追加。L20E型エンジンにターボがプラスされ、パワー&トルクは145ps/5600rpm、21.0kgm/3200rpmを搾り出した。発売当時の価格は165.8万円。「日産・セドリックセドリック/日産・グロリアグロリア」、「日産・ブルーバードブルーバード」に次ぐ日産において3車種目のターボ車であり、日産初のターボとATを組合わせた車種である。同時にノンターボの「2000GT-E・S」が廃止となる。CMではセリカの「名ばかりのGT達は、道をあける。」のコピーに対抗して「今、スカイラインを追うものは誰か」というコピーが用いられた。

1980年6月 直列6気筒OHC LD28型ディーゼルエンジンを搭載する「セダン/ハードトップ280D GTシリーズ(EGC211型)」、直列4気筒OHC Z20E型エンジンを搭載する「2000TIシリーズ(UC211型)」、100万円を下回る最廉価版「1600TI-A(BC211S型)」、およびバンに直列4気筒OHC LD20型ディーゼルエンジン搭載車を追加。280D GTはディーゼルエンジンの持ち味である低回転からのトルクをアピールされた。この当時の国産車におけるディーゼル乗用車としては最速を誇っていた。

1980年代、先代モデルのケンメリと同じく暴走族の改造車としても人気を得ていた。ケンメリ同様、ワンテール化やライト、グリルの移植が流行していた。

2ドアハードトップ・2000GTターボが、刑事ドラマ西部警察の劇用車(マシン-X)として使われていた。当時、ターボエンジンを搭載したモデルのフロントバンパーに鏡文字になった「TURBO」のエンブレムが広告等で話題となり、「写真が反転していないか」との問い合わせもあった。

総販売台数は539,727台。

6代目(R30型、1981年-1985年)

R30スカイライン(前期型4ドアRSターボ)
R30スカイライン(2ドアRSターボ)
R30スカイライン(5ドアハッチバック)
R30スカイラインのバン(道路公団車両として使われるための各種艤装がなされている)

通称:ニューマンスカイライン、鉄仮面(後期型RSの通称)

キャッチコピー:New 愛のスカイライン・ニューマン スカイライン・史上最強のスカイライン

1981年8月 R30型発売。アメリカ合衆国アメリカの俳優ポール・ニューマンが広告キャラクターであったため、「ニューマン・スカイライン」と呼ばれた。グレード体系はC210型同様の直列6気筒エンジンを搭載する「GTシリーズ」と直列4気筒エンジンを搭載する「TIシリーズ」の2系列だが、ホイールベースは1種類となった。ボディバリエーションは、4ドアセダン・2ドアハードトップ・5ドアハッチバック・後に追加されるライトバン(エステート)の4種。

ハッチバックはスカイライン史上初である。現在は常識となっているテンパータイヤは、このR30型ハッチバックが日本初採用であり、スペアタイヤに空気圧減圧警告灯なども装備されていた。搭載エンジンは、Z18S型(エステート・TI)、Z18E型/Z20S型/Z20E型(TI)、L20E型/L20ET型/LD28型(GT)の7機種。

1981年10月 直列4気筒4バルブDOHC 日産・FJエンジン#FJ20EFJ20E型エンジン(150ps/6000rpm、18.5kgm/4800rpm)を搭載する「2000RS(DR30型)」を追加。GT-Rの再来と期待されたが、FJ20E型が直列4気筒であるがためにGT-Rを名乗らなかったともいわれている。同時にZ18S型を搭載する「エステート」が追加。

1982年10月 一部変更。「TIシリーズ」の1800cc Z18型エンジンを直列4気筒OHC CA18型/CA18E型エンジンへ変更(FJR30型)。「TI Lエクストラ」および「GT Xエクストラ」を追加し、「2000RS」に60%扁平タイヤを装着。

1983年2月 FJ20E型にターボチャージャーを追加した、日産・FJエンジン#FJ20ETFJ20ET型(190ps/6400rpm)を搭載した「2000ターボチャージャーターボRS(DR30JFT型)」を追加。歴代スカイラインのどれよりも高出力であったことから「史上最強のスカイライン」というキャッチコピーが用いられる。また、日産は、このモデルにてハコスカ以来となるワークス・チームワークスとしてレースに復帰。

刑事ドラマ西部警察の劇用車として、2ドアハードトップが旧モデルに引続き使われていた。最初に2000RS=1台(マシンRS、ターボ車追加後RS-3に名称変更)が登場し、後に2000ターボRS=2台(RS-1.RS-2)が追加された。

1983年8月 マイナーチェンジにより後期型へ。前後の意匠変更、大型バンパーの採用等を行う。RSの後期型は薄型ヘッドランプ、ラジエーターグリルレスのデザインにより「鉄仮面」と呼ばれた。パワーランバーサポート・パワーステアリング・パワーウインド・カセットコンポを装備した豪華仕様「2000ターボRS-X(DR30XFT型)」を追加。

1983年10月 日本初のAT専用グレードであるNAの豪華仕様「2000RS-X(DR30XFE型)」、および15インチアルミホイール、ブロンズガラス、専用ステッカーを装備する「2000ターボGT-E・S ポール・ニューマン・バージョン(HR30JFT型)」を追加。

1983年11月 日産50周年記念限定車「50アニバーサリー バージョン」を設定。これは2ドアハードトップ2000ターボRS-Xをベースに、めっきメッキドアミラー、専用紋章エムブレム、「ハイタッチモケット」と呼ばれる専用の内装(後にオプション設定)を備え、白のほかにガンメタ/赤茶ツートンの専用ボディカラーも用意された。

1984年1月 「2000ターボGT-E・Xパサージュ(HR30GAE型)」を追加。

1984年2月 インタークーラー搭載モデルである「2000ターボインタークーラーRS/RS-X(DR30JFS/DR30XFS)」を追加。このモデルは「ターボC」と呼ばれる、RS-XターボCでは、前述のハイタッチモケット仕様の内装が選択可能となった。インタークーラー付きFJ20ET型エンジンはグロス表示ながら205ps/6400rpm、25.0kgm/4400rpmを発生させ、未だに根強いファンを持つ。

1984年8月 エンジンの点火系を変更した「プラズマスパークシリーズ」を発売。最強のエンジンでイージードライブが可能になった「2000ターボインタークーラーRS-X A/T(DR30XAS型)」、および「2000ターボGT-E・II(HR30HFT型)」を追加。

1985年8月 モデルチェンジによりR31型に移行されるが、5ドアハッチバックはこのモデル限りで廃止となる。エステート(バン)は1990年2月まで継続生産されるが、こちらもこのモデルを最後に廃止された(後継車は日産・アベニールアベニールカーゴ(1990年5月〜1999年6月)、現在は日産・エキスパートエキスパートが販売されている。尚、ハッチバックは、日産・プリメーラプリメーラ(1990年2月〜2001年1月30日)、である)。

総販売台数は406,432台。

7代目(R31型、1985年-1989年)
Image:R31.jpgthumb250pxrightR31スカイライン(後期型)
通称:7th(セブンス)、アールサンイチ、都市工学スカイライン

キャッチコピー:
:7th Skyline(セブンス スカイライン)
:We Motor Sports.

ボディバリエーションは、4ドアセダン・4ドアハードトップ・2ドアクーペ・ワゴンの4種。

1985年8月 R31型発売。当時のハイソカーブームに便乗し、発売当初はスカイライン初の4ドアハードトップモデルと4ドアセダンしか設定が無く、「史上最強のスカイライン」と宣伝された先代と比較され、「牙を抜かれた狼」「史上最悪(最低)のスカイライン」などと揶揄されることもあり、スカイラインファンからは不評であった為、翌年にはスポーツモデル(2ドアスポーツクーペ)を追加に至った。しかし、ケンメリGT-Rに搭載されていたS20型エンジン以来の直列6気筒4バルブDOHCエンジンで、2ヵ月後にZ31型日産・フェアレディZフェアレディZに搭載された180ps(発売当初はグロス値表記で210ps)を発生する日産・RBエンジン#RB20DETRB20DET型を搭載し、4輪独立操舵システムであるHICASを搭載したモデルである。

搭載するエンジンは前述のRB20DET型のほか、直列6気筒がDOHC RB20DE型、SOHCターボ RB20ET型、SOHC RB20E型、SOHCディーゼル RD28型。直列4気筒はSOHC CA18S型の計6機種。サスペンションはフロントがストラット式、リアがセミトレーリングアーム式。但し4ドアセダン・4ドアハードトップの各1800シリーズおよびワゴン全車はリアが5リンク式リジッド。

1986年1月 ワゴン追加。ワゴンのGTパサージュターボはスバル・レガシィツーリングワゴンが登場するまでは国内最速ワゴンであった。

1986年5月 待望の2ドアスポーツクーペのGTSシリーズを追加、CMキャラクターに岩城滉一が起用された(途中で降板)。このGTSのCMは速度上昇(80km/h)にて突出するオートスポイラーの機能をふんだんに見せるものであり、キャッチコピーは「FOR ELISE MY LOVE SKYLINE」で音楽もルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンベートーヴェン「エリーゼのために」のアップテンポ編曲版であった。

1986年8月 「4ドアセダン1800エクストラG」を追加。

1986年9月 2ドアスポーツクーペに引続き、4ドアハードトップにもGTSシリーズを追加。

1987年2月 「2ドアスポーツクーペGTSツインカム24VターボNISMO」を限定1000台にて設定。イタルボランテステアリングホイール、バケットシート等を装備する。

1987年5月 「4ドアセダン1800エクストラGリミテッド」、および「4ドアセダン1800Gリミテッド」を追加。

1987年8月 マイナーチェンジ。4ドアのフロント周りの造形を2ドアスポーツクーペと共通するデザインへ変更する等、外観に手を入れられる。CMもマイナーチェンジを施し、「We Motor Sports.」のコピーで、峠道を疾走するシーンや当時のグループAのマシンを登場させ、走行機能を前面に出すCMに変更。曲もヨハン・ゼバスティアン・バッハバッハの「トッカータとフーガ」のアップテンポ編曲版に変更する。マイナーチェンジと同時に、当時のグループAのホモロゲーションモデルとして「2ドアスポーツクーペGTS-R」を800台限定で設定。オートスポイラーを固定化し、大型スポイラーを装備、さらにターボタービンの変更等のチューニングを施し210ps(ネット値)を発生させる。1987年11月のインターTECにてデビューし、全日本ツーリングカー選手権をはじめ国内レースを席巻、以降に復活するR32型GT-Rの布石を築いた。

余談ではあるがこのGTS-R、800台限定と言われながら400台を日本唯一のR31専門チューニングショップであるR31HOUSEが面倒を見ている。そのため同店店長である柴田達寛氏は「半分はありえない、もしかしたら800台以上あるんちゃうかな?」とコメントしている。

1988年5月 日産の子会社であるオーテックジャパンが独自にエンジンや足回りをチューニングし、GTS-Rと同じ210(ネット値)psを発揮する限定車「GTSオーテックバージョン」が登場(限定200台)。注文数が大きく上回り、発売日には抽選で販売した。

なお、カタログモデルでタクシー仕様車が設定されたのは、同型が最後となった(エンジンはCA18P型LPG。小型タクシーの全長の規定によりマイナー後もフロント・リヤの変更は無かった)。

総販売台数は309,716台。

オーストラリアではピンターラ (:en:Nissan PintaraPintara) という名称で現地生産された。2代目ピンターラは日本では日産・オーズィオーズィとして輸入車 (日本)#逆輸入車逆輸入された。

また、コンプリートカーメーカーのトミーカイラがオーストラリア向け車両に搭載されていた3000ccSOHCのRB30E型エンジンを搭載し、コンプリートカートミーカイラM30として市販した。これは、日本初の公認チューニングカーとしてトミーカイラが世に出した最初のモデルでもある。

8代目(R32型、1989年-1993年)
R32スカイライン
通称:アールサンニィ、超感覚スカイライン

キャッチコピー:
:超感覚スカイライン・とんでもないが、とんでもいい(前期型)
:あたたかな魂。・I love you,SKYLINE.(後期型)

後期型のCMでは、女優をCMキャラクターとして起用し、モデル初期は羽田美智子、モデル末期は田中広子が「I LOVE YOU SKYLINE」と囁いていたのが印象的であった。

R以外の系列としては最後の5ナンバースカイライン。当時日産が推し進めていた901運動の究極の目標として開発された。ボディタイプはR31型まで存在した4ドアセダン、およびステーションワゴンが姿を消し、ピラードハードトップ構造の4ドアスポーツセダンと2ドアクーペの2本立てとなった。4ドアハードトップはR32型を最後に消滅した(R33以降は窓枠付きのセダン)。R32型では、16年ぶりにGT-Rグレードが復活し、日本国内のみならず海外の自動車レースを席巻した。内に秘めたポテンシャルではフェラーリを上回ると絶賛された。かつてのGT-Rは自然吸気の直列6気筒4バルブDOHC 2000ccエンジンを搭載する後輪駆動(FR)であったが、復活したR32型GT-R(BNR32型)では、2568ccの直列6気筒4バルブDOHCエンジンに2基のセラミックス製ターボチャージャーツインターボ(日産・RB26DETTRB26DETT型)を搭載し、FRをベースとしつつも、高度な電子制御によって4輪に自在に駆動力を配分できる4輪駆動システム(ATTESA E-TSアテーサE-TS)を搭載する4輪駆動車とされた。グループAホモロゲーションモデルとして、タービンをセラミック製から耐久性の高いメタル製へ、フロントバンパーをダクト付き(通称ニスモダクト)等の変更を加えた「GT-R ニッサン・モータースポーツ・インターナショナルNISMO」も限定発売された。

GT-Rの復活ばかりが注目され陰に隠れる形になってしまった標準モデルだが、自動車評論家やレーサーからは最もバランスの取れたモデルとして歴代のスカイラインの中できわめて評価が高い。しかし、先代と比べてかなり狭くなった後席のためにファミリーユースを失い、販売台数は落ち込んでしまう。警視庁からは警ら用パトカーとしての採用を見送られ、代わりに日産・グロリアグロリアが納入されたため、東京にはR32型の白黒パトカーは存在しない。なお、前期・後期共に自動車教習所#教習車教習車仕様が存在していた。

標準モデルの搭載エンジンは215psまでパワーアップされたRB20DET型を筆頭にRB20DE型、SOHCのRB20E型、4気筒のCA18i型(R32型で4気筒モデルは消滅)もあるが、R31型まで設定されたディーゼルエンジンは設定されない。中でもR32型のGTS-4にはRB20DET型エンジンにGT-Rと同じアテーサE-TSを組み合わせているのでGT-Rの高性能も味わえた。後にマイナーチェンジで2500ccのRB25DE型を搭載し、5速ATを組合わせたGTS25も追加され、GT-R以外の3ナンバーモデルも発売されたが、A31型日産・セフィーロセフィーロの様に全車3ナンバー化はされなかった。またこのモデルから、すべてのグレードにおいて丸型4灯テールランプが採用されている。

1992年にオーテックジャパンより、4ドアスポーツセダンGTS-4をベースに、GT-R用RB26DETT型をNA化し、鍛造ピストンや高回転カムシャフトを採用するRB26DE型(220ps/6800rpm、25.0kgm/5200rpm)と4速ATを組合わせた「オーテックバージョン」が発売された。

その他、コンプリートカーメーカーのトミーカイラがオーストラリア向け車両に搭載されていた3000ccSOHCのRB30E型エンジンをRB26DETT型のパーツを流用しDOHC化。NAながら280psを発揮させるRB30DE型を独自開発し、オーテックと同じくGT-Rではなく2ドアスポーツクーペGTS-tの車体に搭載しコンプリートカーとして市販した。

スカイラインの生みの親である桜井眞一郎率いるS&Sエンジニアリングの手により、R32型GT-Rの優良中古車をベースに、R33型とR34型の純正パーツを使用し制作された「BNR32 S&S Limited Version」がインターネット限定で32台販売された。

総販売台数は296,087台(GT-Rの43,661台を含む)。

= トリビア =
社内での開発コードはRXだった。当初、メーカーの広報車の一部には、「RX」のロゴとストライプを組み合わせたデカールが貼られていた。また、そのストライプデカールはオプション設定されてた。


9代目(R33型、1993年-1998年)
R33スカイライン(前期型)
通称:アールサンサン、GT-9(ジーティーナイン)

キャッチコピー:
:SKYLINE GT-9 (スカイライン ジーティナイン)・スーパーGT-R、・あした、スポーティーに生きる/日本のグランドツーリングカー(前期型)
:男だったら、乗ってみな。→キメたかったら、乗ってみな。・好きだったら、乗ってみな。(後期型)
:マイナス21秒ロマン(GT-R)

CMキャラクターは前期型はジャン・マルク・バール、田村翔子。後期型は牧瀬里穂(因みに牧瀬は後期型発売前まではホンダ・トゥデイのCMキャラクターを務めていた)。

ボディをふたたび大型化。主力は2.5Lとなり、全車3ナンバーとなった。GT-Rは1995年1月に発売された。R32型に比べて全体的に大型化された事により、居住性は大幅に上がったが同時に車両重量も増加した。特に発売初期の頃はGT-Rも含めR31型程ではないが評価・評判共にあまり芳しくなかった。R33が発表されたとたんに、在庫のR32に注文が殺到したというエピソードもある。

サスペンション形式はR32と同じくマルチリンク式サスペンションマルチリンクだが、前アッパーアームをI型からA型に変更、後ダンパーのストローク増、などの改良が図られている。

GT-R含むクーペ全てとセダンの前期モデルは、バッテリーをトランク奥に設置するハイトラクションレイアウトを採用している。搭載される専用バッテリーは高価だが大した容量を持っていない。

開発当初はクーペをショートホイールベースにする予定だったが、終盤でセダンとのシャシー共用によるコストカットを求められた。そのためかクーペの外観は間延びしたものとなっており、ドアもかなりの大きさを持つ。

エンジンのラインアップはGT-R専用となる2.6L RB26DETT型、2.5L RB25DET型とRB25DE型、および2.0L RB20E型(R33型唯一のSOHCエンジン)の4タイプであった。トランスミッションは5速MTと5速AT(5速ATはマイナーチェンジにて4速ATに変更される)であった。

R33型デビュー直後、東京モーターショーでGT-Rのプロトタイプが発表されたが、市販モデルではフロント周りを見直された。そして一般車にしては前代未聞の東京オートサロンにてデビュー。

歴代のGT-Rでは初めてテレビCMがつくられ、ニュルブルクリンクオールドコースでのラップタイムが7分59秒だったことから、R32型GT-Rとのタイム差を元に「マイナス21秒ロマン」というキャッチコピーが用いられた。

一般的には問題が無いが、チューニングカーチューニングした上で超ハードな走行を繰り返すと、Cピラー根元がストレスに耐え切れず、曲がってしまうというトラブルが報告されている。

GT-Rの車両形式が前回のBNR32からBCNR33へとアルファベットが変更された。前回はB=RB26DETT、N=アテーサ+HICAS、R=スカイラインの意味を持たされていた。R33ではB=RB26DETT、N=アテーサ、C=HICAS、R=スカイラインの意味なのだが,このモデルにだけ"C"がつくのは、R32型・R34型共にアテーサ装着車にはHICASが自動的に装着されていたのに対し、R33型GT-R以外のモデルではアテーサ装着車でもHICASが装着されていないモデルも存在したことにより、差別化のためCが表記されている。

しかし、Option (雑誌)OptionではR34でまたC=HICASが社内記号での判断となり消滅した事と合わせ、「C=日産・ローレル#7代目(C34型 1993年-1997年)C34ローレルとのシャーシ共用を意味してるのではないか?」と書かれていた。しかし実体は上記の通りであり、単なる都市伝説と考えるのが正解である。

発売後、NISMOからは400Rと呼ばれるコンプリートカーが限定車として44台販売された。当時の販売価格は1200万円である。この400Rの名前の由来は搭載されたエンジン、ニスモが「RB-X GT2」と呼ぶ2.8L排気量アップ版の最大出力400psに由来する。

1995年1月 一部変更。運転席SRSエアバッグ、およびテールパイプフィニッシャーを標準装備としたほか、外装を一部変更。セダンのラジエータグリル、ヘッドランプ周りをスモークシルバーに変更し、GTSタイプG系にアルミホイールを標準装備化。クーペのラジエータグリルをボディカラー化し、「エアロパッケージ」を設定。「セダンGTS25タイプG・SE」および「セダンGTS-4タイプG」を追加。さらに、BNR32型が継続販売されていた「GT-R」がフルモデルチェンジしBCNR33型となる。桟の無いラジエータグリルにGT-Rのエンブレムを配し、角度変更可能なリアウイングを採用した。RB26DETT型エンジンの出力は280ps/6800rpm、37.5kgm/4400rpmとなる。グレードは標準車のほか「GT-R Vスペック」、「GT-R VスペックN1」の3種類。N耐参戦ベース車である「Vスペック N1」ではリアウイングがカーボン製となる等、差別化が図られている。

1996年 ビッグマイナーチェンジ。外装が大幅に変更された。発売当時、テレビCMで「男だったら、乗ってみな。」というセリフとキャッチコピーを展開したところ、クレームがつき<!--(表現がまずかったらしい)-->、映像はそのままで「キメたかったら、乗ってみな。」に差し替えられ、その後「好きだったら、乗ってみな。」というバージョンも作成された。

後期型GT-RにもCMが作られたが、「最新のGT-Rが、最高のGT-Rだ。」という、R32以前のコアなファンの心理を逆なでするコピーが不評で、後に「私たちの国には、GT-Rがあることを誇りたい。」となるなど、パブリシティにおいても紆余曲折のあったモデルであった。

1997年10月 第32回東京モーターショーに「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を出展。スカイライン生誕40周年を記念した限定車。BCNR33型GT-Rをベースに4ドアのボディを載せた、PCG10型GT-R以来の4ドアGT-Rである。2ドアGT-Rのブリスターフェンダーを再現するために、わざわざリアドアとリアフェンダーのプレス型を作り直す程であった。

1998年1月 「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を発売。型式は「BCNR33改」となる。村山工場で組み立てされた後、座間事業所にて仕上げを施され、出荷された。神奈川県警が白黒、埼玉県警が覆面パトカーとして導入している。

GT-Rのみ100台限定でイギリスへ輸出されている(下記「GT-Rとは」参照)。そして、日産がル・マン24時間レース参戦用にGTR-LMと呼ばれるホモロゲーションマシンも1台だけ製作された。

この頃のGT-RやJZA80トヨタ・スープラスープラRZ-S等のスポーツモデルは出力こそ自主規制値の上限である280psとなっているが、実際にはマフラー等で出力を絞っているだけであり、マフラー等の吸排気系を社外品に変えるだけのライトチューンでも実測値で400ps弱、またコンピューターのリセッティングをすればGT-Rでは400-430ps、スープラに至っては500ps弱という出力が発生してしまうため、自主規制は有って無いような物となっている。

総販売台数は217,133台(GT-Rの16,435台を含む)。

10代目(R34型、1998年-2002年)
R34スカイライン(前期型)
R34 GTR police car.jpgthumb250pxrightR34スカイラインGTR(V-specII)のパトロールカー(埼玉県警)
通称:アールサンヨン

キャッチコピー:The Driving Body ボディは力だ。

1998年5月 R34型発売。先代の反省からかホイールベースを短縮し、「ボディは力だ」のCMキャッチコピー通りにボディ剛性が向上され、同時に安全性も向上された。搭載するエンジンは全て直列6気筒DOHCであり、2.0LのRB20DE型、2.5LのRB25DE型、および2.5Lターボ付のRB25DET型の3種類。マニュアルモード付ATを2.5L 2WDモデルに設定した。MTはクーペの全仕様、セダンのターボモデル、4WDモデルおよび2.0Lモデルに設定された。

標準での最スポーツモデルでRB25DET型を搭載する「25GT-t」はついに280psを発揮するまでに至ったが、クラス下の三菱・ランサーエボリューションランサーエボリューションやスバル・インプレッサインプレッサが既に同程度の出力を達成していただけに、パワー重視のユーザーからはあまり興味を持たれなかった。

25GT-tに搭載されていた4ポッドキャリパーとローターが、他の日産車に簡単な方法で移植可能で、社外品のブレーキまでは必要ないが、ブレーキは強化したいというチューニングカー乗りには定番チューンとされている。

1999年1月 R34型GT-R発売。キャッチコピーは「人に翼を」。前回同様に東京オートサロンデビューとなったが、有名なショップには事前に納車され、若干チューニングが施された車が展示され、NISMOからはコンプリートカー状態になったものが展示されていた。

Option (雑誌)Optionにはノーマル状態の車が紙面に登場する前に、BLITZの手によってカラーリング、ホイール交換、シャコタン車高が下げられた状態で登場してしまっている。

このR34型は第2世代最後のRだけに歴代GT-Rの中でも究極のGT-Rと言える進化を遂げた。Vスペックには量産車初のカーボンディフューザー等のアドバンスドエアロシステムを採用、鍛造18インチホイールを装備、トランスミッションは独ゲトラグ社と共同開発した6速MT、ブレーキはイタリアの名門ブレンボ製を標準装備。エンジンは第2世代最後となるRB26DETT型を搭載。自主規制枠一杯の最大出力280psはそのまま(ちなみにエンジンの実測馬力は約330ps。タービンを容量一杯まで使い切る事により550psを発揮している)ではあるが、R390GT1で培われた技術を活用し、最大トルク40.0kg/mを達成する等、究極のドライビングプレジャーを名乗るに相応しい車に進化した。その結果、当時COOとして日産を立て直した現日産最高経営責任者CEOであるカルロス・ゴーンの口から「日産で最も好きな車」と言わせた。車内においてはコンソール中央にマルチファクションディスプレイと呼ばれる車両の状態を確認するモニターが搭載され、水温、ブースト圧などを表示することが出来る。Vスペックとノーマルでは多少表示項目が異なる。

1999年2月 4ドアセダンに電動SUPER HICAS、リヤビスカスLSD等、ターボ車同様の足回りを持つ「25GT-V」を追加。R34型登場時には設定のなかった2WDセダンのNA 2.5LとMTの組み合わせとなる。

1999年9月 2ドアスポーツクーペ・4ドアセダンともにリヤビスカスLSDをヘリカルLSDに変更。また細かいところでは、エンジンカバーに書かれた「Turbo」「NEO STRAIGHT 6」の文字に施された赤い塗装が廃止されたことがカタログから読み取れた。

2000年1月 2ドアスポーツクーペに「25GT-V」を追加。GT-Rに第33回東京モーターショーに参考出品された特別塗装色ミッドナイトパープルIIIを3ヶ月期間限定で設定。

2000年8月 マイナーチェンジ。内外装を一部変更したほか、RB25DET型の5速MT車にて、エンジンのトルクアップを施した。

2000年10月 GT-Rがマイナーチェンジ。内外装の一部変更、およびVスペックに替わりVスペックIIをラインナップ。量産車としては初のアメリカ航空宇宙局NACAダクト付きカーボンファイバー製ボンネットフードを採用。その他色の変更、アルミペダル化が行われた。なお、この代のGT-Rはイギリスでも100台限定ながら輸出販売されている(下記「GT-Rとは」参照)。

後期型へのマイナーチェンジ直後、工場閉鎖のため2000年9月29日(GT-Rは8月5日)に村山工場での生産を終了し、「工場5」のコーションプレートを持つ車両は絶版となる。以降は栃木工場が生産拠点となる。GT-Rの村山最終生産車両は同車開発主管の渡邊衝三が保有する。

2001年5月 「GT-R M・spec」追加。リップルコントロールショックアブソーバーを採用したほか、専用の本革シートを装備し、専用色を設定した。

2001年6月 RB型エンジン搭載最後のモデルで3年という短いサイクルでV35型へバトンタッチ。その後もGT-Rは継続販売された。

2002年1月 限定車「M・spec N&uuml;r」、および「V・spec II N&uuml;r」を設定。前者が630万円、後者が610万円である。この「N&uuml;r」にはヘッドを金色塗装されたN1仕様エンジン、N1タービン、シャフト、ピストンなどのN1用パーツを使用し、300km/hスケールのスピードメーターを装備。通常ならばステッカー式の後部グレードステッカーが立体エンブレムになり、製造番号シールもゴールドになっている。さらには専用色である「ミレニアムジェイド」を設定している(「V・spec II N&uuml;r」はシリカブレス、「M・spec N&uuml;r」はベイサイドブルーがラインナップには無い)。「N&uuml;r」は元々1グレード300台限定で発売される予定だったが、1月の発表後に新聞や車雑誌などで大きく宣伝されていた為か、問い合わせが殺到し急遽500台に増産が決定した。しかしそれでも予約希望者数に対応できないため、最終的に両グレードで計1000台の生産が決定した。パンフレットには300、500と印刷された上に1000のシールが貼られている(ちなみに受注に際して海外からの注文もあった程)。1月24日発表日に即日完売(発売日は2月26日)してしまうという、第二世代GT-Rの劇的なラストを飾った。(三菱・ランサーエボリューションランサーエボリューションも限定販売→増産と言うパターンはよく採られているが、即日で完売した例は最近ではN&uuml;r以外には無い)このN&uuml;rもGT-Rの名にふさわしく東京オートサロンでの登場だったのだが、使われたのが室内試乗用車両であり、しかもノーマル状態だったため、ほとんどの人に気づかれていなかった。

2002年8月 排気ガス規制のためGT-R生産終了。

:2005年 NISMOより、R34型GT-Rの最終形態とも言える、2800cc化されたRB26DETTを搭載するZ-チューンが20台限定1774万5000円で発売された。(既に所持しているR34GT-Rを工場に持ち込みチューンする「パーツコンバージョン」は1312万5000円である。ただしカラーはベース車両のままでハードコートも無くなる。また、ミッドナイトパープル色は受付できない)このZ-チューンは、最高出力500psを誇るモンスターマシンでありながら、ストリートを意識した仕様になっている。ホイールなどはZ-チューン仕様のLMGT4を使用している(このLMGT4は後に限定で市販されている)。
:車重がノーマルより重いのにも関わらず、街乗りもまったく苦にしない上に、0-400加速にて10秒フラットを記録できるなど、究極のロードゴーイングカーの名にふさわしい仕様になっている。

このR34GT-Rはアメリカ映画ワイルドスピードX2にも序盤の主力車種として登場しており、アメリカ本国は元よりイギリス、オーストラリア、フランス、香港などでも<!--非常に有名な車として-->知られている。また、<!--しかしそれが原因なのであろうか-->日本でGT-Rを盗み、アメリカなどのブラックマーケットにて1000万円単位で取引されることもあるという負の事実もある。また特にこのR34GT-Rは生産台数が約11,000台しか生産されていないことからプレミア価格が付いて居ることがあり、ニュルで600〜800万、VスペックIIでも500万以上は珍しくなく、余程の事が無い限り初期標準車であっても300万円を下回ることはまず有り得ないという異常な現象が発生している。2004年度の盗難車ランキングにおいてスカイラインは9位にランクインしており、その大半はGT-Rである。

なお、2ドアクーペは交通取締り用のパトカーとして数台採用された。4ドアセダンのGTターボは交通取締り用のパトロールカー覆面パトカーとして50台が導入された(前期型)、しかし少数ながら後期型も埼玉や和歌山などの高速隊には存在している。その後捜査用車両としてNAエンジンの4ドアセダンが127台導入された、最近では交通取り締まり用はトヨタ・クラウンクラウンの覆面パトカーにその座を譲る事が多くなった。

総販売台数は64,623台(GT-Rの11,344台を含む)。

11代目(V35型、2001年-2006年)

V35スカイライン(写真はインフィニティG35仕様)
V35 3.50GT police car.jpgthumb250pxnone350GT-8のパトカー(埼玉県警察)
350GTプレミアムのMTシフトレバー
350GT-8のCVTシフトレバー
V35スカイラインクーペ(インフィニティG35)

通称:ブイサンゴー

キャッチコピー:The Premium Sports(ザ プレミアム スポーツ)、SHIFT_Driver's confidence

1999年10月 第33回東京モーターショーにコンセプトカー「XVL」を出品。スカイラインとは別のモデルとして発表され、日産の新しいスポーツセダンとして開発されていた。

2001年6月 「XVL」を、ルノー上層部の意向で<!--(自動車雑誌の記事より)-->V35型スカイラインとして発売。10代目の項の通り、R34型登場から3年後にV35型が登場したが、先代までのフルモデルチェンジのサイクルと比較して短い。この型から、従来スカイラインGTの象徴の一つであった直列6気筒エンジンに替わり、V型6気筒直噴ガソリンエンジンのVQ30DD型、およびVQ25DD型エンジンを搭載。トランスミッションは4速および5速オートマチックのみの設定。

また、丸目のテールランプが廃止(後のマイナーチェンジで復活)されたことなどから、新世代のスカイラインの在り方を表現したモデルといえ、プレミアム・スポーツセダンとしてみた場合、性能的にポテンシャルは高い。

しかしながら、「新世代のスカイライン」としての外観とそれに付随するイメージが、結果としてかつてのスカイラインファンを遠ざける結果となってしまった事は否めない。これは、「都市工学=新世代」を謳った7代目スカイラインがたどった軌跡に似ている。旧来のスカイラインファンからはスタイリングや乗り味が総合的に不評で、「これはスカイラインではない」等と言われる事が多い(土屋圭市には「あれは日産・セフィーロセフィーロです」と言われてしまっている)。残念ながら必ずしも営業的に成功しているとはいえないだろう。その結果、ユーザーの高齢化が進んでしまった。

つまり、一般的なセダンとしてはかなりの実力を持っているものの、「スカイライン」としてのオリジナリティ、あるいはスペシャリティが感じられるクルマではない、という結論が導き出せるだろう。
当初ATのみしか設定されていなかったミッションや、ターボ設定のないエンジンなど、販売当初において他のセダンと何らかのイメージ的差別化を築きあげることができなかったことも、販売の低迷の一つにあげられるのではないか。
「スカイライン」でなければ味わえない魅力を、スタイリング、そして乗り味に語らせることができない=他の大排気量セダンと一体どこが違うのか、という疑問を、必ずしも十分に払拭出来ていないかもしれない。

ただし、日本国外にも正規輸出され、国外では日産の上級ブランドであるインフィニティ (日産自動車)インフィニティの販売網により、インフィニティG35として販売され好評である(「インフィニティG20」(日本名日産・プリメーラプリメーラ)の後継車である)。

埼玉県警では高速道路交通警察隊に350GT-8の白黒パトカーが導入されており、250GT・300GTも一部の県で交通取締用白黒・覆面パトカーとして導入されている。また、国費で全国の機動捜査隊に250GTの捜査用覆面パトカーが導入されている。茨城県警では研修用に導入されている。

2001年9月 4WD車「250GT FOUR」を追加。

2002年1月 北米国際オートショーに北米向けV35型「インフィニティ G35」2003年モデルを出品。VQ35DE型エンジンを搭載する。

2002年2月 セダンに「350GT8」を追加。エクストロイド無段変速機CVTのみの設定で、国内初となる8段変速マニュアルモードを搭載。

2002年3月 北米にてインフィニティ G35発売。

同月 第102回ニューヨーク国際オートショーに、V35型とプラットフォームを共用する2+2クーペである「インフィニティ G35スポーツクーペ」を出品。

2002年11月 北米にてインフィニティ G35スポーツクーペ」発売。搭載するエンジンはVQ35DE型エンジンのみ。

同月 アメリカ モータートレンド誌による2003年カー・オブ・ザ・イヤーに「インフィニティ G35スポーツセダン」および「インフィニティ G35スポーツクーペ」が選ばれる。

2003年1月 「スカイラインクーペ」追加(MT車は2月発売)。搭載するエンジンはVQ35DE型エンジンのみ。駆動方式は2WD(FR)のみ。クーペでは丸型テールランプが復活している。あわせて、セダンも内外装を一部変更し、グレード体系の見直しを行った。

2003年6月 セダンに「350GTプレミアム」、および「350GT」を追加。6速MTのみの設定。

2004年11月 セダンをマイナーチェンジ。内外装の変更で丸型テールランプが復活したほか、VQ30DE型エンジン搭載モデルを廃止しグレード体系を見直しするも、売り上げの回復には至っていない。クーペについても一部改良し、19インチホイールを設定。

2005年7月 韓国にて「インフィニティG35セダン/クーペ」を発売。

2005年10月 第39回東京モーターショーにリファレンス・モデルとしてクーペのマイナーチェンジ版とされるものを出展。

M35型日産・ステージアステージア、Z33型日産・フェアレディZフェアレディZ、および日産・フーガフーガはV35型のFMプラットフォームから派生したモデルである。

セダンはエンジンがVQ35DE型・V6・3500cc(272ps)とVQエンジン#VQ25DDVQ25DD・V6・2500cc(215ps)の2タイプで、前者のトランスミッションはCVT、6MT、5ATの3タイプから選べる。クーペはエンジンがVQエンジン#VQ35DEVQ35DE型・V6・3500cc(280ps)のみで、トランスミッションは6MTと5ATの2タイプがある。

12代目(V36型、2006年-)
キャッチコピー:日本のクルマに、ときめきが帰ってくる。
シフトワード:SHIFT_passionときめきをシフトする。
Image:SKYLINE VQ35HR (No1).jpgthumbright250pxV36スカイライン(日産ギャラリー銀座)
Image:V36.jpgthumb250pxrightV36スカイライン
Image:SKYLINE VQ35HR (No2).jpgthumbright250pxV36スカイライン(クリムゾンレッド)
2006年4月 ニューヨーク国際オートショーで輸出仕様である新型インフィニティG35セダンが出展される。

2006年11月20日 日本発売。

駆動方式はFRの他にAWD(アテーサE-TS)が設定され、エンジンは改良型VQエンジン(約80%の部品が新設計)のVQ35HR・V6エンジンV6・DOHC・3500cc 315馬力(232kW)/6800rpm 36.5kgm(36.5N・m)/4800rpm とVQ25HR・V6・DOHC・2500cc 225馬力(165kW)/6800rpm 26.8kgm(26.8N・m)/4800rpm を搭載(HRは高回転型(''High Revolving'')の略)。

北米仕様のインフィニティG35セダン向けVQ35HRは2007年1月米ワーズ社の「10ベストエンジン」を受賞した。VQエンジンとしては13年連続の受賞で、このような長い期間の連続受賞は単一のエンジンとしてはきわめて異例のことである。

スポーツグレードである350GT typeSPと350GT typeSには世界初搭載の四輪制御システム「四輪アクティブステア(4WAS)」をメーカーオプション設定。ミッションは5AT(北米向けG35は6MTもある)で、パドルシフトの設定もある。このパドルシフトはマグネシウム製とすることで軽量化と剛性の強化を、本革張りとすることで質感の向上を図っている。一方で位置に関しては、誤操作を防ぐ配慮かステアリングホイールからやや遠い位置にあるが、一部の批評家にはこのことが不評である。ほかにスイッチ照明付きプッシュエンジンスターターを全車標準装備としている。

全高は2WDモデルでV35より20mm低くなり、スポーティな印象がました。各所にインフィニティのデザインモチーフや歴代スカイラインのモチーフをあしらい、フロントのデザインは日産・フーガフーガを連想させるようなデザインになっている。グレード間の外観差はフーガのGT系とXV系のように明確ではないが、スポーツグレードの350GT typeSPと350GT typeSは専用スポーツバンパー及び専用スポーツバンパーグリルとなる。

ナビゲーションは日産史上初のハードディスクドライブHDDタイプが設定される。エンターテイメント機能として内蔵HDD(30GB)に最大約3000曲分もの音楽データを収録可能なミュージックボックスとDVD及びコンパクトフラッシュの再生機能がある。ディーラーオプションのナビゲーターは設定されていない。オーディオにはBOSE社製のシステムを採用し、車内7組11個のスピーカーをスカイライン専用に新設計。これはHDDナビとのセットオプションとなる。基本の再生システムは250GT/250GT FOURにはスカイラインホログラフィックサウンドシステムⅡ、他のグレードはスカイラインホログラフィックサウンドシステムIが標準装備される。IとIIの違いははCDプレイヤー(II)かインダッシュ6チェンジャーCDプレイヤー(I)かだけである。
インテリアには本木目と本アルミニウムアルミのパネルにエクリュ、ブラック、フォーブの内装色が選べる。また、フーガで好評のインパネ アナログ時計を全車標準装備する。

クーペは2007年の発売までV35が継続生産される。

CMキャラクターから1歩踏み込んだ存在としての「キーメッセンジャー」に渡辺謙、イチローを起用している。
「車で走ることそのものにドキドキしていた。」「何時から車は移動する便利な道具になってしまったのか」という節は「走りの日産」の復活を感じさせる。

日産のプレスリリースによると、発売から約1ヶ月間のごく好調な新型スカイラインの受注は中高年層に支えられており、29歳以下の購入者は3%程度となっている。かつてのスカイラインファンを再び呼び戻すことには成功したものの、スポーツカー離れの進む若い層をいかに獲得するかがV36型スカイラインの次の課題となっている。

GT-R PROTO(次期GT-R、2007年予定)

R34で終わりをみせたGT-Rが復活する。2007年10月24日に、新型スカイラインクーペをベースとした新たなGT-Rを正式発表し、海外でも販売するとカルロス・ゴーン日産CEOが明言している。

カルロス・ゴーンの箝口令により、漏れてくる情報は極めて少ない。発売前の車にこれだけの予測・噂・期待がかかるところからも、GT-Rの偉大さがわかる。

以下は主に自動車雑誌の報道からであり、ここに書かれていることも推測である。

新型はスカイラインの1グレードではなく、独立した車種として登場する予定と報道された(既に日産は「日産GT-R」および「インフィニティGT-R」の商標登録出願を済ませた)。その後、「スカイラインGT-R」として登場するという情報が流れた。

北米では現行スカイライン同様インフィニティブランドで発売されるのではないかと言われていたが、2006年4月のニューヨーク国際オートショーにて、日産ブランドで発売されることが発表されている。

エンジンは伝統の直6・RB26DETTではなく、VQ35DETTなどVQ系V6エンジンが有力とされ、タービンも電動で駆動させる、エレクトリカル・ツインターボではないかとも噂されている。最高出力は500ps前後を予定している。

トランスミッションは7速シーケンシャル・マニュアルトランスミッションシーケンシャルマニュアルミッション(2ペダル)のほか、ATのラインナップの可能性もある。

駆動方式についてはFRを採用するという説が流れたが、ATTESA E-TSアテーサE-TS(もしくはその発展形)の4WDを採用するという情報のほか、まったく新しい4WD(AWD)技術が搭載されるという説もあり、定かではない。トランスアクスル レイアウトを採用するという情報もある。

2001年10月 第35回東京モーターショーに「GT-Rコンセプト」を出品。

2002年1月 北米国際自動車ショーに「GT-Rコンセプト」を出品。

2002年3月 第72回ジュネーブモーターショーに「GT-Rコンセプト」を出品。

2005年10月 第39回東京モーターショーに「GT-R PROTO」を出品。新聞にも大きく取り上げられた。このプロトタイプはフロントマスクこそ縦型フロントライトの革新的なデザインだったが、丸型テールライトやリヤデッキの形状など先代GT-Rから踏襲した部分も多かった。なお、この時も詳細スペックは明かされていない。

2006年10月、モーターマガジンにニュルブルクリンクでの次期GT-Rテスト走行写真が掲載された。

== GT-Rとは ==
スカイラインの中でも特別な存在。その歴史を紐解けば分かるように、乗用車ベースでありながらレースで勝つことを使命としている。国産最強最速の名を欲しいままにし、他の国産スポーツカーにも影響を与えるほどの車である。それゆえに熱狂的なファンが多い。エンジンの構造等にもエンジニアのこだわりがある。そのため、GT-Rを冠することの出来ない世代もあり、それがGT-Rの存在そのものに箔をつけている。スカイラインの中のスカイラインとでも言えよう。

「世界的に有名な3つのアルファベットがあります。G、T、Rです。私はここでお約束いたします。必ずGT-Rは復活します。」これは2001年東京モーターショーのプレス・カンファレンスでカルロス・ゴーンCOO(当時)が"GT-Rコンセプト"を前に行ったプレゼンの最初の言葉である。徹底した合理化戦略で有名な氏がこのような異例の発言をしたことからも、この車の凄さがわかるだろう。

スカイラインは本来日本国内専用車国内販売専用車であるが、極わずかのGT-R(R33,R34)が輸入業者の手により同じ右ハンドル車が走っているイギリスにも上陸しており評判が非常に高く、日産自動車側に「イギリスでも販売して欲しい」と言う要望が強かったのと、ルマン24時間耐久レースで「NISMO GT-R LM」として出場した事によりヨーロッパでの知名度が上がった事を受け、正規品としてR33GT-Rはモデル末期に100台限定、R34GT-Rも同じくV-spec仕様が100台限定ながら販売された。イギリスでは関税の影響で日本円に換算すると1000万円近くする(国内仕様のV-specIIの新車価格は574.8万円)事で、高所得層しか購入出来なかったが、フェラーリ以上の価値やステータスがあると言うユーザーもあり「スポーツ走行が出来る程高性能なのに家族も乗せられる」と実用度に対しての満足度も非常に高い。なおこの計200台はいずれも数日で完売している。その他、ドイツ、アメリカ、香港へ個人輸入をする者もいる(残念ながら、アメリカではアメリカの基準に適合していない車を入れることは法律違反であるらしく、GT-Rを輸入した並行輸入業者が警察当局に拘束・収監されてしまったケースもある)。また、SUPER GTで活躍するミハエル・クルムも日本国内でR34GT-Rを2台購入し、モナコへ輸送している。

国内仕様とは特に大きな差異はないが、R34型は現地の法規に合わせた対応(セキュリティの強化やヘッドライトのハロゲンバルブ化(保安基準に適合しなかったための変更)、スピードリミッターを欧州の自主規制値である250km/hへ引き上げ、及び200マイル/hスケールスピードメーターの採用等)や後に国内仕様のMスペックにも採用された本革シートが装備されている(英国仕様の本皮はコノリー社により手作業で張られたもので、日本のラインナップには無かった赤色シートも選択出来た)。

ハコスカの初代GT-Rが発売される前年の1968年東京モーターショーには市販直前型のプロトタイプが参考出品されているが、この時点ではまだGT-Rの名は存在せず、2代目スカイラインホットモデルの称号GT-AおよびGT-Bの流れを汲み、市販時にはGT-Cの称号が与えられるであろうと当時噂されていた。 WIKIペディアより引用


 


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